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岡本章平 NASCARダッジ・ウィークリー・シリーズに印象的なデビューを果たす
2005年9月5日(月曜) ノースカロライナ州ヒッコリー
アクシデントによりリタイヤする結果に終わったものの、岡本章平は1周0.363マイルのヒッコリー・スピードウェイでNASCARダッジ・ウィークリー・シリーズ(NASCAR
DODGE Weekly Series)にデビューし、力強いドライビングを披露した。 No.81のOAMラーキー・モータースポーツ・モンカルロに乗った岡本は予選20位からスタートし、序盤は上位と同じペースで周回を重ねていた。
「予選の前から、マシンがアンダーステアになるという問題を抱えていた。これを修正することができず、レースでもそのまま走らなければならなかった。序盤は問題なく、前のドライバーについていったが、そのあとはコーナーの入り口でスピードを乗せようとしても、クリッピングポイント付近でアンダーステアが出てダメだった」と岡本は語った。
200周で争われるレースの27周目、13番手を走行していた岡本は、後方からNo.00、アーロンのマシンに接触された。No.00のマシンは右フロントから岡本が乗るモンテカルロの左リヤにぶつかり、岡本は3コーナーのウォールへ後ろ向きになってクラッシュ。マシンは後部に修理不能のダメージを受け、岡本は21位という結果に終わった。
「No.00のマシンはイン側を走っていた。自分のマシンはスポッターとの無線が不調でミラーだけを見ながら走行していた。そうすることでしか相手の位置を確認できなかった。自分はコースの中程にいたが、相手がバンクを上がってきて押し出される形になった。でも、NASCARではそれも当たり前のことなのだろう」と岡本は言っている。
岡本は早々とレースを終えることになったが、その活躍はチーム・オーナーのマイク・ラーキーを含むNASCARショート・トラック・レースのベテランたちに感銘を与える内容だった。
「アキ(岡本)はすばらしい仕事をしていた。ぶつかられなければ、おそらくトップ5に入っていただろう。好タイムを連発し、順位を上げているところだった」とラーキーは言う。「ヒッコリー・スピードウェイはレース・トラックというより闘牛場のようなものだ。レースは激しくぶつかったり、ぶつけられたりしながら走ることになる。前の方はまともに走っているが、10番手あたりだと、ほんとうにマシンをぶつけ合っている」
2001年にヒッコリー・スピードウェイのレイトモデル・シリーズでチャンピオンとなったメカニックのマーク・セッツァーも岡本のレースぶりから強い印象を受けたようだ。
「アキは本当によくやった。ヒッコリー・スピードウェイを初めて走って、あれだけすぐに順応てきるとは驚いた。私は(ヒッコリーで)16年もレースをしているが、ほんとうに感心した」とセッツァーは言っている。「彼といっしょに仕事をするのはものすごく楽しかった。よく話を聞き、ノートを取っていた。少しでも知識を吸収し、速く走りたいという姿勢が現れていた。もう少し走り込めば、間違いなく速くなるだろう」
岡本は9月17日に行なわれるNASCARダッジ・ウィークリー・シリーズの最終戦で「アメリカ一有名なショート・トラック」と呼ばれるヒッコリー・スピードウェイをもう一度走ることになっている。
岡本章平(No.81
OAMラーキー・モータースポーツ・モンテカルロ) 「(NASCARダッジ・ウィークリー・シリーズへのデビューについて)準備はかなり慌ただしく、マシンをセッティングする時間が十分ではなかったです。今回のアンダーステアの問題が出たのはそれが原因と言えるでしょう。セッティングはたいへん重要です。ロードコースならドライバーがなんとかできるのですが、オーバルだとそうはいきません。肝心なのは、マシンにいいセッティングを施すこと。今度はもっと走り込んで、セッティングを進めていきたいと思います。
(フォーミュラカーとストックカーの違いについて)ずいぶん違いましたね。ストックカーだと、ふつかっても大丈夫、というかぶつけ合うこともレースのひとつみたいでした。フォーミュラカーのレースをしているドライバーは、その点ずいぶん紳士だと思いました。 (NASCARレースについて)実際、かなり激しいレースでした。でもとても気に入りました。ぶつかり合うのは嫌いじゃないですし、自分も前のマシンを押していて、とても熱くなりました。自分に合っていると思うので、ストックカーのレースを続けていきたいと強く思いました。とにかく、こういうサイド・バイ・サイドのレースに慣れる必要があると思いました。もっと走り込んで経験を積むことが肝心ですね。NASCARは本当に熱くなれる真剣勝負のレースです」
マイク・ラーキー(ラーキー・モータースポーツ チーム・オーナー) 「必要ならばアグレッシブになれるドライバーだし、レースのリスタートときには、慎重な走り方もできる。彼はトラブルを避けるため、他のマシンとの間に少し距離を置こうとしていた。前のマシンがクラッシュしていなくなるはずだ、と言っていたが、彼自身がそうなるとは思わなかった。いずれにせよ、すばらしい走りだったと思う」
マーク・セッツァー(No.81モンテカルロ チーフ・メカニック)
「(NASCARダッジ・ウィークリー・シリーズのレベルについて)ヒッコリー・モーター・スピードウェイの歴史を見れば、ここが『NASCARで活躍するスター誕生の場所』ということがわかるだろう。合衆国内でも、もっとも厳しいショート・トラックのひとつだ。デイル・アーンハート・シニアもここでレースをした。彼は優勝していないが、7回もNASCARのチャンピオンになった。史上最高のドライバーだろう。今でもヒッコリー出身のドライバーがNASCARネクステルカップ・シリーズで大勢活躍している。デイル・アーンハートJr.も、デイル・ジャレットも、スコット・リグスもここを走っていた。たくさんのドライバーがここから誕生した。地方選手権も、このところ見たことがないほどレベルが上がっている」
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